アメリカの映像クリエイター、Natalie Lynn(ナタリー・リン)。
前回の記事「」執筆時に、「カリザとナタリーが作る映像作品は群を抜いている」というコメントを見てたまたまナタリーのことを知って動画を見始めたのですが…これがとんでもなくすごい映像でした。
「Vlogを芸術の域にまで昇華させた」とよく称されてるんですが、まさにそう。ナタリーの個人的な記録の内容なはずなのに、長編映画を見ているかのような、それでいて昔のファミリービデオを見ているかのような親近感もある不思議な感じです。
とにかくすごいのが、「伝えたいこと」を映像化するスキル。
例えば、友人へ感謝の気持ちを、「スクラップブックを作って贈る」という表現をしたり。えーそんな発想なかった!そこまでやるの!?の連続なので、ぜひご紹介したいと思います。
映像作家ナタリー・リン

IMI Fest 2024で受賞スピーチをするNatalie
形式的にはVlogですが、ドキュメンタリー映画のような映像美と赤裸々な心情をさらけ出すストーリー性が注目されています。
2025年3月現在、チャンネル登録者数は84万人以上。セルフドキュメンタリーシリーズ「Borderless(ボーダーレス)」は累計400万回再生を突破しました。YouTube向け国際映画祭のBuffer Film Festival(2022年)やIMI Fest 2024(2024年)で受賞を果たしているのも大きなトピック。
すごいのは、Vlogカテゴリーにもかかわらず撮影技術や映像表現を評価する部門で賞を獲得したこと。個人制作ながら映像制作業界からも「映画並みのクオリティ」と認められているということですね。
8歳の頃から貯めたお金で買ったiPod Touchで動画制作を開始

作品について語るナタリー
ナタリーは8歳で「いつか映画を作りたい」と思い立ち、お小遣いでiPod Touchを買って撮影を始めました。両親からは13歳になるまでYouTubeを始めるのを許してもらえず、ようやく13歳でチャンネル開設。動画制作の学校に通ったことはなく、映画やYouTube動画を観て独学で編集を習得。iMovieから始めて最終的にFinal Cut Pro、今はDaVinci Resolveでカラーグレーディングまでこなしています。
高校卒業後は大学へ進まず、自分で改造したバンで2年間旅をすることを決め、その内面の変化や葛藤を長編映画のように描いたのが「Borderless」。このシリーズが彼女を有名にしたセルフドキュメンタリー作品です。
特に高い評価を受ける『The Adventure That Saved My Life.』
シリーズの中でも第7話の『The Adventure That Saved My Life.』が、ナタリーの名を広めた代表作。

『The Adventure That Saved My Life.』で打ちひしがれているナタリー
流れはこんな感じです。
暗いトーンの序盤:
「なにもかも失った」と、戻るはずのなかった実家に帰るところから始まる。友人の離脱や資金・撮影機材の喪失により精神的にどん底の状態。「生まれて初めてこんなに混乱している」「食事も睡眠もままならない」など、ナタリーの心情が赤裸々につづられ、その感情に引き込まれます。
明るい過去回想の中盤:
「うまくいっていた頃」のバンライフ映像が回想的に登場し、過去の楽しげな雰囲気が描かれます。過去の幸福や希望を匂わせる一方で、同時に「今はもう失われたもの」という切なさを表現しています。
再出発する終盤:
絶望を振り払うように旅を再開する決意へ。まさに「救われた冒険(The Adventure That Saved My Life)」というタイトルどおりの展開です。姿を消した友人が誰なのか、機材やお金がどうなくなったのかなどは明かされませんが、それも含めて“余白”があるからこそ視聴者の想像をかき立て、心の葛藤と再生の物語に深く没入できるんだと思います。
個人的に「すごい」と思うのは、泣いたり弱さをさらけ出すシーンがまったく嫌味に感じないところ。むしろありのままの姿が自然に伝わってきて、こちらまで胸がぎゅっとなる瞬間があるんです。
手帳に感情を書き連ねるシーンなど、控えめな演出が効いていて、飾らない言葉だからこそ心を動かされるというか…私自身、過去の自分を見ているような気持ちになります。
音楽を先に決めてからストーリーを組み立てる
「私は好きな音楽がないと脚本が書けないタイプ」と語るナタリー。一般的な映像制作者とは違い、彼女は音楽を軸に物語の流れを組み立てています。その手順はおおまかにこんな感じ。
- まず感情に響く音楽を選ぶ
- 音楽に合わせてナレーションを書き入れる
- ナレーションのテンポやトーンに沿って映像を選び、編集する
- 最後に細やかなサウンドデザインで空気感を仕上げる
この順番で進めることで感情の一貫性が保たれ、視聴者の感覚に自然と染み込む作品ができあがるといいます。
予定調和ではない手順だからか、彼女の映像には即興性を感じる瞬間が多い気がします。実際、撮影時点でストーリーが固まっていないことも多いとか。ナタリー自身は、
「編集を進めるうちにストーリーが浮かび上がってくることが多くて。潜在意識が自然に流れを組んでくれているような感覚があります」
と語ります。
先に“構成しない”という柔軟さが、作品に生々しさや余白を残し、視聴者の解釈の余地を広げているのも興味深いところ。絵コンテをがっちり組んでから撮影に臨むカリザとは真逆のアプローチです。
音楽を軸に映像制作をしているからこそだと思うのですが、「いつ・どこで・どう入れるか」まで、めちゃくちゃ緻密にコントロールされています。

編集手順について説明している動画
たとえば同じシーン、『I Just Turned 20 and I Feel Alive』の冒頭では、最初から音楽を流すのではなく、ろうそくを吹き消すその瞬間に初めてBGMが始まります。それだけで「あ、これから何かが始まるんだ」と自然に伝わってくる。音の入れ方ひとつで感情の流れを上手にコントロールしています。
ナタリーは音を使った演出へのこだわりがやっぱりすごい。このセンスと緻密さ、参考にできる部分はめちゃくちゃ多いです。

「I Just Turned 20 and I Feel Alive」 のイントロ部分のシーン
冒頭50秒に30時間を費やす妥協なきクリエイティブ
ナタリーの映像を見ていると、「昔のファミリービデオみたいにあたたかい雰囲気を感じる」と思う瞬間がたくさんあります。彼女なりの彼女が特にこだわっているのが、デジタルで撮った映像にフィルムっぽさを加える工夫。ちょっと懐かしくて、触れたくなるような質感を演出するために、カラーグレーディングやオーバーレイ効果、レンズ選びまで細かく計算しています。デジタル×アナログのバランス感覚が絶妙で本当に惹きつけられます!
たとえば『I Just Turned 20 and I Feel Alive』では、Final Cut Proを使ってフィルムグレイン(フィルム特有のザラつき)っぽいエフェクトを多用しています。そして面白いのは「Shape Mask」というエフェクトを使って、画面の一部だけをちょっと暗くしたり、古いフィルムのような雰囲気に仕上げたりしているところ。「Bad TV」エフェクトの中にある「Roll」というグリッチ効果をあえて少しだけ使って、映像に遊びを入れていたりもします。


エフェクトを使ったビフォーアフターを説明しているシーン
これ、やりすぎるとチープになるんですが、ナタリーはそのギリギリのラインをうまく突いてくる。バランス感覚が抜群。
また『The Adventure That Saved My Life.』の冒頭シーンは、映画みたいな色味にグッときた人も多いはず。めちゃくちゃ美しいカラーコレクション。

『The Adventure That Saved My Life.』の冒頭シーン
50秒のシーン。その作業時間、なんと30時間以上。
というのも、通常ならS-Log3とかのカラープロファイルで撮って後で一括調整できるようにするんですが、ナタリーはそういう撮影はしていなかった。だから、1カットずつ手作業でカラーコレクションをかけていったとのこと。
まあS-Logで最初から撮ればいいんですが、それでも諦めない根性がすごい。
彼女の「雰囲気が揃ってない映像を出す方が嫌」という美学が感じ取れます。
「感謝の気持ち」を伝えるスクラップブックの演出

『The Adventure That Saved My Life.』に出てくるストップモーションのシーン。何気なく見ているとスルーしてしまいそうですが、ナタリーの執念ともいえるほどのこだわりがかなり詰まっています。
友人のサイモンとの写真を集めた映像が出てきて、最初「凝ったタイトルデザインだな〜」としか思っていなかったんですが、最後まで見たらまじで鳥肌ものでした。
上記の映像が出てきた後、それぞれの写真とつながる映像がその後流れてきます。友人との思い出が詰まった映像です。

『The Adventure That Saved My Life.』のエンディングシーン
動画を最後まで見ると、これは実際に作って友人サイモンへプレゼントしたスクラップブックだったことが明かされます。
「友人との旅が自分にどれほど大きな影響を与えたか伝えたかった」というナタリー。
これを映像で伝えるために、
- スクラップブックを作り
- 映像を通してスクラップブックが「完成していくように見える」流れにして
- 実際に友人へ贈る
旅の体験がそのまま1ページずつ増えていくような感覚。それを視覚的に見せている。視聴者は何の気なしに見てるだけなのに、どんどんスクラップブックが完成していく…。あぁ、そういうことだったのか!と最後に感じるように。
「できれば視聴者には、最後の最後まで『これがスクラップブックだ』とは気づかれたくなかった」と話すナタリー。ストーリーテリングの一部として、かなり繊細に設計されているのがわかります。
「友人への感謝」を伝えるのにこれ以上の演出あります!?簡単には思いつかない。すごすぎ。
しかもこの演出の裏側を聞くと、「うわ、ここまでやる!?」と驚かされます。
- 映像のスクリーンショットを編集タイムラインから一枚一枚抜き出して印刷
- 紙を切り抜いて、アニメーション風に加工
- 切り抜いた紙を少しずつ位置を変えながら撮影し、ストップモーションとして構成

制作の裏側を解説している動画
完全にアナログとデジタルの合わせ技。時間も手間もかかるのに、それでもやりきるところがナタリーらしい。
中でも特にこだわっていたのが、バンが出てくるカット。ここは「映像がそのままスクラップブックに変化する」ようなシームレスな切り替えを作りたかったそうです。
どうやったかというと…
- ドローンで撮影したバンのカットを静止画として書き出す
- 同じ画像を2枚プリントし、1枚は背景用、もう1枚はバンの部分だけを切り抜く
- バンの部分だけを少しずつ動かしながら撮影して、アニメーションっぽく見せる
これによって、バンが自然にフレームに入ってくるような錯覚が生まれるんです。視覚的にはめちゃくちゃ気持ちいいシーンなんですけど、あの裏側にこんな緻密な工程があったとは…。再現しようと思うとちょっと躊躇してしまう(笑)
いやーでも、ただ綺麗なだけじゃない記憶に残る作品って、やっぱりこういう見えない作業の積み重ねでできてるんだなと改めて感じました。
あえてリアルじゃない音を使ってリアル感を出す
人気作『I Just Turned 20 and I Feel Alive』の冒頭シーン。
バンから降りたナタリーが道路の真ん中へ歩いていってバースデーケーキのろうそくに火をつけるところです。BGMなし雑音なしの映像で、バンの扉を閉める音や足音など「動きの音」が際立っています。
実は音はすべて別で収録したんですって。すごい手間のかけようです。
- 車を降りた後の足音は、道路の上をあらためて歩いて録音。マイクを足元ギリギリまで近づけて収音。
- ドアの開け閉めの音も、自分で録り直し。
- ライターで火をつける時の「シュッ」という音も、別撮りでリアルに再収録。
- ケーキの火を吹き消すシーンでは、マイクに向かって実際に息を吹きかけて、より自然な音を再現。
ナタリーはこうした「リアルな音の積み重ね」が映像の没入感を底上げしてくれると話しています。

どの音声を撮り直したのかを解説しているNatalie
実は、彼女がこだわっているのは効果音だけじゃありません。ナレーションの声にも、意図的な演出が入っています。エフェクトをあてて、あえてヴィンテージっぽく「くぐもった音」に加工することもあるそう。ノスタルジーや記憶の断片を表現したいときに効果的で、音の質感だけで「時間がにじんでいる感じ」を出せるのが狙いなんだとか。
本人いわく、
「実際の音と違う音を重ねることで、直感的にしっくりくる感じをつくりたいんです。」
ただ正確に録るだけじゃなくて、「そのシーンにふさわしい空気」を音で作り出す。それが、ナタリーのサウンドデザインの哲学。細部にここまでこだわっているからこそ、彼女の作品には「静かなのに強い」印象が感じられるのかもしれないですね。
「希望を見つけた」ことを表現するライティング
ナタリーの映像って、どれもライティングが自然ですごくきれい。彼女がよく使うのが、朝や夕方のやわらかい日差し。いわゆるゴールデンアワーっぽいライティング。あの空気感って、それだけで映像にノスタルジックな温度を与えてくれるんですが、いつでも天候や時間帯に頼れるわけじゃない。
だからナタリーはその「雰囲気」を待つのではなく、自分で作りにいっています。
どうやって作るのか?
たとえば、ジャーナリングをしているシーンは、物語の流れ的に「希望が見え始める」タイミングだったので、後ろからノートに向かって光を当てて、ふわっと温かい雰囲気を作っています。

ライティングについて解説している動画
このとき、光はただ当てるだけじゃなく、鏡に反射させてビーム状に変化させるというひと工夫。ジャーナルに向かう手元だけがほんのり光るように調整していて、まるでそこに何か大切なものが宿っているような印象に仕上げています。
もうひとつ面白いのが、「窓から朝日が差し込んでいるように見えるシーン」。これ、実は本物の朝日ではなく、Amazonで買ったたった$15のサンライトランプとバーライトで作ったもの。

ライトが自然光ではなかったことを種明かしをしているインタビュー
バーライトを窓際に仕込んで、光の入り方を計算しながらセッティング。めちゃくちゃ自然。「自然光で撮ってます」と言われたら信じてしまいそうな美しさ。
おわりに
ナタリーが作る映像はただ綺麗なだけじゃなくて、「伝えたいこと」を全力で表現しているのがすごいんですよね。伝えたい芯があるのも、それを上手に表現するアイデア力もすば抜けています。企業の動画にも活かせるポイントがあるはずです。ぜひ彼女の動画見てみてください。
今回も熱くリサーチしすぎて長くなってしまったので、後編はメンバーページに載せておきますね。(登録は無料です)
- 「旅が進む」ことを表現するマッチカットへのこだわり
- あえて「違和感」を作ってテーマを表現する
- 「何ヶ月も編集作業を続ける様子」を象徴的に見せる
- 影響を受けたのは、父親とノンフィクション作家のジョン・クラカワー